原水爆禁止世界大会2025(長崎)の参加報告会を開催しました。(パート2)
8月7日から9日に長崎で開催された原水爆禁止世界大会へ参加してきました。2年前にオンラインで参加しましたが、いつか自分の足で被爆地に行ってみたいと思っていたので今回初めて現地参加することができてとても嬉しいです。
1日目は北海道代表団結団式があり、被爆者のYさんからお話を聞きました。Yさんが4歳のとき、原爆が投下されました。Yさん自身は疎開中のため被爆を免れましたが妹は1歳で被爆、その後44歳で亡くなりました。Yさんは、生き残ったとしても原爆はその人の一生をだめにしてしまう、力ではなくて話し合いで解決できる世の中になってほしいと訴えていました。
2日目は分科会があり、私は青年のひろばに参加し被爆者であるIさんのお話を聞きました。Iさんは当時8歳で爆心地から4.5kmの自宅で被爆され、家族に被害はなかったが爆心地付近に転居していた親友を亡くされました。2020年に癌を患い、余生は若い世代の人々に悲惨な戦争や残虐極まる原爆の実相を伝えたいと語りを続けています。話の中で、自分に子供ができたときに無事に生まれてくるのか不安だった、無意識に障害者に対して差別の目を向けてしまったと言っていたことが印象的でした。
その後、グループディスカッションを行いました。メンバーの中には教職員の方がおり、教科書には核兵器のことが載っていないことや防衛力強化の必要性を説いた子どもの防衛白書が国から学校に配布されていることなど教育の面での問題点を指摘していました。自分たちができることとして選挙への参加が挙げられました。いろいろな政党がある中で、あまり考えずに勢いのある党に票を入れてしまう若者が多いのではないかと意見が出ました。私は大学生の時から選挙に参加はしていましたが、確かに深く考えずに票を入れてしまっていたと思います。今後は日本の平和や自分の将来を考えて投票したいです。
3日目は平和公園に行き、千羽鶴を納めてきました。平和公園には至る所に犠牲者を追悼する石碑がありました。その中には日本で強制労働させられていた中国人被爆者の追悼碑があり、日本での被爆者は日本人だけではないこと、戦時中日本は朝鮮人や中国人に対して加害側でもあったことに気づきました。
今回現地参加して自分の目で感じたり、聞いて知ったことがたくさんあり、学びになりました。戦後80年を迎えて生存している被爆者の方は減っており、直接話を聞くことができたことは貴重であると感じます。学んだことや選挙の重要さを家族や友人に話してみたいと思いました。今後の自分の行動に繋げることができる経験になりました。
苫小牧ひまわり薬局 薬剤師 (T.H)